再び堀切菖蒲園へ、紫と白の優雅さに心が解けてしまう(その155)
6月3日、その日は浅草橋に小用があり、都営浅草線から京成青戸に出て、堀切菖蒲園駅で下車した。...
全部読む
6月3日、その日は浅草橋に小用があり、都営浅草線から京成青戸に出て、堀切菖蒲園駅で下車した。
菖蒲園に着いたのは、11時少し前であった。
もう既に、大勢の来場者で入り口から、大混雑していた。その日は菖蒲園祭りのイベントがあるそうで、消防車も待機していた。
中に入ると、紫を基調に白や薄紫など色とりどりの菖蒲の花が一面に咲き誇っていた。
空は、真っ青に晴れ渡り、白い千切れ雲が浮かんでいた。
6月とは思えない、日差しの強い気候であった。
最近は、言葉から推測するに、外国人である人々が大勢集まっている。
外国人でも、日本人が愛する、紫を基調とする「花の世界」の良さがわかるとみえて、盛んに歓声を上げ、スマホを向けていた。
ここの菖蒲は、花輪の大きさや色の鮮やかさでは、比類がない程艶やかで、華やかであった。
湿気の多い、季節に咲き、心を和ませてくれる救いの花でもある。
一つの花に注目すると、花芯が真紫で、外側に黄色の花弁があり、外に向かって薄紫の大きな花びらが開き、その中に外に向かって濃い紫の襞が広がっていた。
先へゆくと大きな花びらの先が、微妙にカールしていた。下の方を見ると、青々とした茎がそうした、艶やかな花を支えていた。
この白と紫の世界は、和様に良く似合い、灯篭や水の流れに調和していた。煌びやかな派手さはないが、慎み深い中にそこはかとなく優雅さを秘めたその佇まいは、まさに日本人の美意識にぴったり符合するものなのかも知れない。
今年はまだ、梅雨入りの宣言が出ておらず、この晴天の中に咲き誇る菖蒲の花々であるが、青い空に浮かぶ白い千切れ雲にも、良く似合っていた。
それほどの広さもない、その菖蒲園を後にし、その日は、堀切菖蒲園の駅から日暮里駅に出た。手元のウォッチを見ると27℃であった。
時計は、12時を回ったところであった。
閉じる
花菖蒲を巡って、小石川後楽園、そして明治神宮へ(その154)
5月27日、その日の朝9時ごろ、市川駅からJR総武緩行線に乗って、飯田橋駅まで行った。...
全部読む
5月27日、その日の朝9時ごろ、市川駅からJR総武緩行線に乗って、飯田橋駅まで行った。
飯田橋駅前の巨大な横断橋を渡って、小石川後楽園に入った。空は快晴であった。
前の日に電話で、菖蒲の花が咲いていることを確認し、ここに決めた。
江戸時代に水戸徳川家が丹精を凝らして整備した、庭園は武家の文化が染みわたっていた。
池を渡り、しばらく歩くと、花菖蒲の畑が見えてきた。
紫色した綺麗な菖蒲が咲いていた。
だが、まだ3分咲きぐらいであった。
それでも、結構広い菖蒲畑には、それを楽しもうという沢山の人が集まっていた。
その畑から少し外れた所には、ガクアジサイの花がもう咲いていた。次の季節への移ろいが感じられた。
少し物足りなさを感じ、総武線に戻り、代々木駅まで行き、北参道から明治神宮に入ってみることにした。
巨大な森の中を探し回ると、神宮御苑の中に「蓮池」と「花菖蒲」の生息する池を見つけることができた。
入り口で、一人500円也の協力金を払い、御苑の中に入った。
見事な蓮が浮かぶ池から、池沿いを少し歩くと、紫色の菖蒲の花が見えてきた。
入り口でも言われたが、まだ1分から2分咲きであった。
それでも、明治神宮が丹精を込めた綺麗な「花菖蒲」にお目にかかれた。
花菖蒲の見ごろには、少し早かったが、それでも菖蒲の花のなんとも言えない優雅さを味わうことができた。
その日は、JR山の手線の「原宿」駅から、市川の自宅まで、帰宅の途に就いた。額には少し汗が滲んでいた。
閉じる
特別編「ポピーの花のそれから」(その153)
5月20日に葛西臨海公園で手折ったポピーの花と矢車草のその後の経過を特別編で、お知らせしたい。
20日、自宅に持ち帰った華麗なその花は、水をたっぷり入れた花瓶に移しても、すっかり下を向き項垂れていた。
21日の夜、自宅に戻ってから、その花瓶を見ると、不思議に感じるほど、花びらに生気が戻っていた。
22日朝、どうなっているか、花びらを覗くと、色艶を含めて、綺麗にピンと咲いていた。
23日夜、帰ってみると、花びらがすっかり項垂れていて、見ている前で、大きな花びらが一輪「ぽっ」と落ちた。
花瓶の水を新たにして、様子を見ることにした。
24日夜、帰宅して、花瓶辺りの様子を見ると、ポピーの花は全て落ちていた。
矢車草は相変わらず、まだ花を咲かせていた。
「隅田川シーズンズ」内の検索