浅草神社・三社祭(その216)
5月18日、その日の午後1時半頃、私は浅草寺雷門の前にいた。
その辺り一帯が、異様に混雑して、仲見世通りに入れない状態であった。
それでも、少しづつ先に進むと、雷門の提灯が半分端折り上げられていた。
それと同時に、本殿の方から気勢と共に、神輿がやってきて、門から出て雷門通りを隅田川方向に向かった。
ビデオで撮影しながら付いてゆくと左に曲がり、馬道通りをしばらく練り歩き、再び浅草寺方向に戻った。
私は、本殿に向かい、そこから次から次へと来る神輿の大群にカメラを向けた。
聞くところによれば、88基の神輿がこの本殿で、奉納し、気勢を上げることになっていいるようだった。
凄い熱気と、人の数に圧倒された一時であった。
ある街での殺陣風景(その215)
5月11日、その日私は、JR浅草橋駅を降り、その街の広場にと歩いていた。
「マロニエ祭り」と題された、その中で、突如「侍」姿の、いや新選組の衣装を着た人々がバラバラっと散っていった。
道路は封鎖され、時代劇が展開され、テレビなどで見るような「殺陣」の風景がそこで展開されていた。
非日常的な空間を感じて、私は、ビデオカメラを回し始めていた。
夕焼けにけむる「東京スカイツリー」(その214)
5月4日、その日の夕方、私は外出から帰ってきて、ソファーに腰をかけた。
その時、夕焼けの強い太陽の光が反射して、赤色の刺激が眼を突き刺した。
「おやっ」と思い、すぐにベランダに出てみると、一面夕焼けの世界が広がっていた。
西の空には「東京スカイツリー」が夕焼けの中に煙っていた。
新天皇一般参賀への人の波(その213)
5月4日、皇居では、新天皇一般参賀に14万1千人が訪れ、陛下は午前十時頃から計6回、皇后さまや秋篠宮ご夫妻ら皇族方とともに宮殿のベランダに立ち、「我が国が諸外国と手を携えて、世界の平和を求めつつ、一層の発展をとげることを心から願っております」とお言葉を述べられた。
その日の午後1時半頃、私は東京駅丸の内中央口から、行幸通りに出て、ビデオカメラを片手に、皇居の方に歩いていた。
4月30日、5月1日にも同様に撮影したが、この日は人出が桁違いであった。
その時間には、一般参賀の列には並べずに、和田倉門で交通規制に会った。
それでも、二重橋に向けて、ズームアップすると、一般参賀の為に並んでいる多くの人々の姿がファインダーに浮かんだ。
一見して、凄い人数であることが分かった。
令和元年の皇居前の風景(その212)
5月1日、その日も前日と同じように、10時頃、東京駅を降りた。
丸の内中央口の改札口を出ると、右手の壁に「令和元年 天皇陛下ご即位おめでとうございます」との電光掲示板が目に入ってきた。
広場に出てみると、昨日とは打って変わって、青空も垣間見えるほどの良い天気であった。
早速、ビデオカメラを回して、広場全体を撮影し、行幸通りを歩きながら、令和元年の皇居周辺の様子をカメラに収めた。
初夏の気候に、30%程の外国人を含む皇居に向かって歩く人たちは、開放的に、日本の新元号を祝っているように見えた。
この時間帯には、新天皇の即位などの儀礼の式が行われていた。
和田倉門から二重橋方向に進むと、黒塗りの瀟洒な車が、何台も橋を渡って皇居の中に吸い込まれて行く光景が印象的であった。
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