東京五輪世代U-24・強豪アルゼンチンに快勝(3月30日)
東京オリンピックまであと4か月。サッカー24歳以下の日本代表は今年の初戦の相手に南米王者・アルゼンチンをホームに迎え、国際親善試合2試合を行った。今回初共演を果たしたヘタフェ・久保建英と川崎フロンターレ・三笘薫の二人には熱い注目が注がれた。
東京スタジアムでの第1戦はアルゼンチンが前半21分にアドルフォのヘディングシュートで先制。その後日本も反撃を開始し、三苫が相手ディフェンス2人をかわしてアルゼンチンゴールに迫る見せ場を作るが堅い守りを崩せない。...
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東京オリンピックまであと4か月。サッカー24歳以下の日本代表は今年の初戦の相手に南米王者・アルゼンチンをホームに迎え、国際親善試合2試合を行った。今回初共演を果たしたヘタフェ・久保建英と川崎フロンターレ・三笘薫の二人には熱い注目が注がれた。
東京スタジアムでの第1戦はアルゼンチンが前半21分にアドルフォのヘディングシュートで先制。その後日本も反撃を開始し、三苫が相手ディフェンス2人をかわしてアルゼンチンゴールに迫る見せ場を作るが堅い守りを崩せない。久保も後半35分に強烈なボレーシュートを放つが枠を捉えきれず0―1で敗戦。アルゼンチンが南米予選首位通過の実力を見せつけた。
中2日で舞台を北九州に移しての第2戦。「同じ相手に、しかもホームで負けるなんてありえないですし、本気で勝ちにいっていました(久保)」その言葉通り若きサムライが本領を発揮。前半終了間際に初招集の林大地が先制ゴールを決めると、後半には久保のコーナーキックから主将の板倉滉が頭で合わせて2点目。さらに5分後、再び左サイドの久保のCKからリプレイのような板倉のヘディング弾がアルゼンチンゴールに突き刺さった。終わってみれば3-0の圧勝。五輪本番を前に金メダル候補からの価値ある勝利となった。森保監督の代行で指揮を執った横内コーチは「選手をたたえたい」とねぎらった。
この日2アシストの久保は「自分たちはこれで良い波に乗って自信を持って、かといって慢心はせず、しっかり準備を各々が自分のチームでしていきたいと思う」とコメント。その表情には大きな目標を見据えた強い決意が窺えた。
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照ノ富士、大関復帰を確定させる三度目の優勝(3月29日)
大相撲三月場所千秋楽。3敗で単独トップを走っていた関脇の照ノ富士が大関・貴景勝を破り4場所ぶり3度目の優勝を決めた。同時に21場所ぶりの大関復帰を確実なものとした。
勝てば優勝が決まる大一番。照ノ富士は立ち合いで貴景勝の左腕を取りに行ったが中に入られ土俵際に攻め込まれる。さらに貴景勝は腕ひねりを繰り出したが、これに乗じて照ノ富士が一気に前に出て土俵外に貴景勝を押し出した。
今場所9勝が大関復帰への目安とされていた照ノ富士だが、そのプレッシャーがあったのか勝ち越しがかかる10日に3敗目を喫してしまう。...
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大相撲三月場所千秋楽。3敗で単独トップを走っていた関脇の照ノ富士が大関・貴景勝を破り4場所ぶり3度目の優勝を決めた。同時に21場所ぶりの大関復帰を確実なものとした。
勝てば優勝が決まる大一番。照ノ富士は立ち合いで貴景勝の左腕を取りに行ったが中に入られ土俵際に攻め込まれる。さらに貴景勝は腕ひねりを繰り出したが、これに乗じて照ノ富士が一気に前に出て土俵外に貴景勝を押し出した。
今場所9勝が大関復帰への目安とされていた照ノ富士だが、そのプレッシャーがあったのか勝ち越しがかかる10日に3敗目を喫してしまう。しかしその後は吹っ切れたかのように快進撃。三大関を撃破して千秋楽まで5連勝で賜杯をものにした。報道によれば日本国籍取得に向けた準備も進んでいるとのこと。両ひざの怪我で大関を陥落後、序二段まで番付を落とした男が再び頂点を目指す。
終盤まで優勝争いをリードしていたのは小結の高安だった。だが13日目に今場所技能賞を獲得した若隆景に逆転負けを喫すると、そこからまさかの3連敗。千秋楽で碧山にも敗れ敢闘賞受賞も逃してしまった。初優勝に向けて期待が高まっていただけに悔やまれる結果となった。
平幕の明生は10勝をあげ自身初の敢闘賞を獲得。今場所は関脇・小結が全員勝ち越したため初の三役昇進とはならないが、来場所以降の飛躍を感じさせる十五日間だった。
若手力士の台頭も目立ったこの三月場所。横綱・鶴竜が土俵を去り、白鵬も来場所は休場が濃厚。照ノ富士を中心に新たな時代の主役を決める戦いが繰り広げられそうだ。
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プロ野球開幕・ホークス&ジャイアンツが連勝(3月28日)
2021年のプロ野球シーズンがスタートした。昨季120試合に短縮されたレギュラーシーズンはこれまでと同じ143試合制に。コロナ対策で延長戦は行わず9回で打ち切り、1都3県でのナイトゲームは午後9時までに試合終了となるように15分から30分前倒しで開始されることとなっている。また、入場者数は各球場の収容人数の半数程度に抑えられる。
開幕戦でのトピックスを振り返ってみよう。まずは5連覇を狙う王者・ソフトバンクホークス。...
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2021年のプロ野球シーズンがスタートした。昨季120試合に短縮されたレギュラーシーズンはこれまでと同じ143試合制に。コロナ対策で延長戦は行わず9回で打ち切り、1都3県でのナイトゲームは午後9時までに試合終了となるように15分から30分前倒しで開始されることとなっている。また、入場者数は各球場の収容人数の半数程度に抑えられる。
開幕戦でのトピックスを振り返ってみよう。まずは5連覇を狙う王者・ソフトバンクホークス。本拠地PayPayドームで4本のアーチを放つ一発攻勢で大量8得点。投げては初の開幕投手となった石川が7回1失点の好投で今季初勝利。続く第2戦はサヨナラ勝ちで昨シーズン唯一の負け越しを喫したマリーンズを粉砕した。
また、楽天イーグルスは昨季の最多勝・涌井が史上初の3球団ので開幕投手勝利。第2戦先発予定だった田中がふくらはぎの損傷で登板を回避。復帰まで3週間を要するとみられている。
セ王者・読売ジャイアンツも開幕戦から好調。9回に史上初めてとなる亀井の代打サヨナラホームランが飛び出し快勝すると、第2戦も新加入の梶谷のグランドスラムなどで二けた得点をあげ連勝スタートとなった。
一方で外国人選手のチーム合流は大幅に遅れている。12球団で半数以上に当たる47人が未だ入国できていない。特に大きな影響を受けているのがDeNAベイスターズで、打線の要であるソト、オースティンの両主砲や新外国人投手ロメロらを欠いた状態で開幕を迎えた。梶谷、井納ら主軸メンバーのFA離脱もあるなかで三浦新監督も選手のやりくりに苦しめられそうだ。
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横綱・鶴竜引退会見・20年の土俵人生に別れ(3月26日)
「中途半端な気持ちで土俵に上がる訳にはいかないので、引退ということに決めました」その表情は一点の曇りもなく晴れやかだった。引退を表明した第71代横綱・鶴竜が会見を行った。
歴代10位の在位41場所で幕内優勝は6回を誇る。横綱として堂々たる成績と言えるだろう。「人間としても男としてもお相撲さんとしても成長させてもらったなと思います。感謝の気持ちでいっぱいですね(鶴竜)」だが、角界入りへの道は決して平坦なものではなかった。...
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「中途半端な気持ちで土俵に上がる訳にはいかないので、引退ということに決めました」その表情は一点の曇りもなく晴れやかだった。引退を表明した第71代横綱・鶴竜が会見を行った。
歴代10位の在位41場所で幕内優勝は6回を誇る。横綱として堂々たる成績と言えるだろう。「人間としても男としてもお相撲さんとしても成長させてもらったなと思います。感謝の気持ちでいっぱいですね(鶴竜)」だが、角界入りへの道は決して平坦なものではなかった。相撲部屋が開いた選考会ではすべて不合格。だが、力士になる夢を捨てきれず日本相撲振興会に日本語で入門にかける思いを綴った手紙を送った。ようやく井筒部屋に入門したが、当時は体重も65㎏しかなくほとんど期待されていない存在だったという。生来の真面目な性格でけいこを重ね、4年をかけて関取になった。モンゴル出身力士のなかでもとりわけ日本語の上達が早く流ちょうにコメントするが、それも影での日頃からの努力の賜物に相違ない。
横綱昇進後は怪我との戦いだった。会見では「もう明日から体をいじめなくていいんだと思うと何かから解放された気持ち」と本音が漏れた。「人間としても、男としても、相撲さんとしても本当に成長させてもらった。感謝の気持ちで一杯」と謝意とともに約20年の土俵生活に別れを告げた。横綱は特例として引退後、5年間は現役時代の四股名のまま親方となることができる。今後は年寄・鶴竜として後進の指導に当たることになる。「将来は横綱、大関、協会の看板を背負って立っていける力士を育てたいなという気持ちです」と語る鶴竜。その誠実な人柄で大相撲の隆盛に貢献してくれることだろう。
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「柔能制剛」を体現・平成の三四郎、古賀稔彦(3月25日)
富田常雄の長編小説「姿三四郎」は明治時代を舞台に架空の柔道家・姿三四郎の半生を描いたものである。小柄ながら豪快な背負い投げを得意技としていた「平成の三四郎」ことバルセロナ五輪・柔道男子71kg級金メダリストの古賀稔彦が24日、川崎市内の自宅でがんのため亡くなった。53歳という若さでの悲報に関係者から惜しむ声が次々と寄せられている。
「柔よく剛を制す」を体現した古賀の柔道の真骨頂と言われるのが1990年4月全日本選手権。...
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富田常雄の長編小説「姿三四郎」は明治時代を舞台に架空の柔道家・姿三四郎の半生を描いたものである。小柄ながら豪快な背負い投げを得意技としていた「平成の三四郎」ことバルセロナ五輪・柔道男子71kg級金メダリストの古賀稔彦が24日、川崎市内の自宅でがんのため亡くなった。53歳という若さでの悲報に関係者から惜しむ声が次々と寄せられている。
「柔よく剛を制す」を体現した古賀の柔道の真骨頂と言われるのが1990年4月全日本選手権。100キロ超級の猛者がひしめく無差別級で76㎏と出場選手中最も軽重ながら重量級の選手を次々と打ち負かした。決勝の相手は同期で重量級エースの小川直也。50kg以上重い相手に技をしかけ続け、惜しくも敗れたものの柔道家・古賀稔彦の名を不動のものとした。
二度目の五輪となった1992年のバルセロナ大会では直前の稽古中に左ひざ靭帯を負傷。全治1カ月の重傷だったが痛み止めを6本打ちながら試合に強行出場。一本勝ちで勝ち進み準決勝を背負い投げで勝利すると、決勝でも一本を狙い続け、判定勝ちで悲願の金メダルを手にしたのだった。
2000年に現役を退いた後は指導者として手腕を発揮。2004年のアテネ五輪では愛弟子の谷本歩実が金メダルを獲得し、抱擁して喜び合う姿が感動を呼んだ。2007年からは岡山県・環太平洋大学の総監督に就任。子どもたちへの指導に携わり、柔道の普及活動に尽力していた。平成の柔道界に鮮烈な記憶を残した“姿三四郎”。その大きな功績はいつまでも色褪せることはなく多くの人々の心で生き続けるだろう。
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