2020年に米国で大きなうねりを見せた「Black Lives Matter(BLM、黒人の命も大切)」運動は、英国にも飛び火して、奴隷貿易王かつ政治家として英国南西部ブリストルの街の名士となっていたエドワード・コルストン(1636~1721年)の銅像が引き倒されてブリストル湾に投げ入れられてしまった。そしてこの程、名士の名前を冠した伝統私立校であるコルストン校が遂に名称改称へと重い腰を上げた。
12月6日付米
『AP通信』:「創立311年の伝統私立校、奴隷貿易王の名前を冠した校名改称へ」
昨年米国で大きなうねりとなったBLM反人種差別運動は、英国南西部のブリストルにも大きな影響を与えた。
まず、市の中心部に建立されていた奴隷貿易王かつ政治家エドワード・コルストンの銅像が引き倒されて海に投げ入れられてしまった。
そして今度は、創立311年の伝統私立校であるコルストン校(2~18歳の約800人在籍)が校名を改称することになった。
同校の評議委員会は12月6日、来夏に校名を改称することとし、新校名候補は同校の在校生、卒業生、及び保護者や教職員から広く集めた上で決定すると発表した。
同評議委員会声明によると、“本校名のコルストンは奴隷問題を惹起することが明白となってきており、このまま同校名を維持することは、今後も奴隷貿易を通じて命を落とした多くのアフリカの成人男性・女性・子供への責任に関与していると取られかねないことを憂慮する”という。
コルストンは1636年、ブリストンの裕福な商家に生まれ、同地が中心となった奴隷貿易会社の王立アフリカ社(1672~1698年)に入社して頭角を現し、後に奴隷貿易王とまで言われる程出世した。
同社は、アフリカの黒人を数万人以上、カリブ海の植民地での砂糖栽培事業や北米のタバコ産業の労働力として供給した。
英国においては、1807年に奴隷貿易が禁じられたが、実際に禁止法が制定されたのは1834年であった。
それまでに奴隷貿易によって1,200万人以上のアフリカ人が新大陸に移送されたが、航行途上で約200万人が落命していた。
なお、奴隷貿易で財を成したコルストンは、同市に多額の寄付をしてことから、市内の多くの施設にこの名前が冠せられている。
ただ、同校評議委員会によれば、“本校名はコルストンの功績から名付けられたものではなく、コルストンが自身の名前を冠することを決めた”という。
一方、同校の動きに先立ち、昨年11月に同市内のコルストン女子高は、在校生及び職員の投票によってモンペリエ高校に改称されている。
同市の多くの市民は、以前から奴隷貿易王のコルストンの名前がそこここに残されていることを恥じていたが、昨年米国で巻き起こったBLM運動を契機に、市中心部に建立されていた銅像が引き倒された海に投げ入れられる事態まで発生していた。
かかる背景もあって、コルストン校においても校名についてアンケートを取ることとし、1,096人の一般人含め合計2,500人余りの回答を得た。
その結果、一般人の80%以上はコルストンの名前は残すべきだとの回答であったが、学校関係者からの回答の大勢が校名を変更すべきというものであった。
同校評議委員会としては、“学校の歴史を消去”したくないものの、“新しいアイデンティティで以て、多様性かつ開放的な校風を創造していくべきであり、また、地元にとっても誇れるような名前とすることが重要だと考える”とした。
なお、世界各国で、奴隷制や人種差別に関わった歴史上の人物の記念碑や銅像を保持していることに対し、活動家らから多くの批判の声が上がっている。
同日付英国『ザ・ガーディアン』紙:「奴隷王エドワード・コルストンの名前を冠する最後の学校が校名改称」
奴隷王エドワード・コルストンの名前を冠した、ブリストル市内の私立伝統校が、関係者に対して行ったアンケートの結果を踏まえて、遂に名称を変更することにした。
コルストン校は、ブリストル生れのコルストンによって1710年に創立されて以来、コルストン校と称されてきた。
しかし、奴隷制や人種差別問題に焦点が当てられる時代となり、2018年にコルストン小が改称され、今年になってコルストン女子高がモンペリエ高校に改名されることになって、ブリストル市内で唯一コルストンの名前を冠した学校となっていた。
そこで今回、同校評議委員会が一般市民及び学校関係者(在校生、卒業生、保護者及び教職員)に対して行ったアンケートの結果を踏まえて、同校名を改称することとし、同時に新校名を募集することとした。
同評議委員会のニック・ベイカー委員長は、“長い間、繰り返し繰り返し相談・協議を行ってきたが、アンケート結果も考察した上で、現在及び将来の本校生や教職員にとって誇れる名称に変更することが大切だと判断した”と言及した。
また、同校のジェレミー・マカロー校長は、“校名改称は、これまで本校が培った幸福で多様性かつ開放性に富んできた歴史を否定するものではない”とした上で、“本校の全関係者が、本校の将来に関わって考察してくれていることを誇りに思う”とコメントした。
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国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ、注1後記)がこの程公表した「パンドラ文書」(注2後記)の中で、世界の多くの著名人が租税回避を行っていたことが判明した。富豪や有名モデル、スポーツ選手、ギャング、中小企業の経営者、医師などに加えて、90以上の国・地域で活躍する330人以上の政治家も名前を連ねている。そして、その中には、ウラジーミル・プーチン大統領(68歳)の愛人や旧友名義の隠し財産があったことが判明した。
10月3日付
『ニューヨーク・ポスト』紙:「プーチン大統領の愛人が1億ドルの隠し財産を保有していることが“パンドラ文書”で判明」
ICIJが直近で公表した「パンドラ文書」によって、ウラジーミル・プーチン大統領の長年の愛人とされた女性が、これまで明らかになっていた質素な生い立ちと異なり、しゃれたマンションやヨット等、推定1億ドル(約110億円)の“隠し財産”を保有していることが判明した。
スベトラーナ・クリボノギク氏(46歳)で、彼女の出身地であるサンクトペテルブルク市においてプーチン氏が同市副市長に就任して以来の付き合いとされ、二人の間には女の子がいると言われている。
英国メディア『ザ・ガーディアン』紙報道によると、共同アパート育ちのクリボノギク氏のみならず、プーチン氏の旧友までも、バージン諸島他のタックスヘイブンに設立したペーパーカンパニー名義で巨額の資産を保有しているという。
「パンドラ文書」によると、クリボノギク氏は2003年9月、ブロックビル・ディベロップメントというオフショア企業(租税回避地に設立された会社)を通じて、モンテカルロ(南仏モナコ公国の都市)の4階建ての豪華マンションを購入している。
更に彼女は、サンクトペテルブルクのアパートやその他価値ある資産を取得している。
彼女の他、プーチン氏と長い付き合いのある側近や旧友も、税法が緩いモナコに多くの資産を保有している。
現地のドミニク・アナスタシス弁護士は『ザ・ガーディアン』紙のインタビューに答えて、“今やモナコはモスクワの一部と化していて、皆(保有資産を)見せびらかすことしか頭にない”とコメントした。
更に、同弁護士は、“誰も資金の出処に関心がないし、税務申告を求められることもない”と付言している。
モナコに資産を保有している中で突出しているのは、1990年代からプーチン氏と親交のある旧ソ連の官僚だったゲンナジー・チムチェンコ氏(68歳)である。
元原油トレーダーだった同氏は、1991年にプーチン氏から原油輸出許可証を取得して以来原油取引で蓄財し、後にプーチン氏と共同名義で原油輸出会社グンボル(2000年設立のスイス法人)を立ち上げて大儲けしている。
米経済誌『フォーブス』(1917年創刊)報道によると、チムチェンコ氏の保有資産は220億ドル(約2兆4,200億円)であるという。
もう一人、プーチン氏の旧友で成り上がった人物はピーター・コルビン氏(60歳後半)である。
彼らは父親同士が親しかったことから仲が良かったが、コルビン氏にほとんど資格・資質がないにも拘らず、2003年にサンクトペテルブルク本拠のインターナショナル・ペトロリアム・プロダクツの重役に登用されている。
ただ、プーチン大統領は、「パンドラ文書」に記載されている企業との関係を一切否認している。
しかし、目下投獄されている野党勢力代表のアレクセイ・ナワルニー氏(44歳)は、彼の率いる「反汚職基金」(2011年設立)が調査した限り、プーチン氏は“世界有数の富豪”となっていると非難している。
(注1)ICIJ:世界のジャーナリストが共同で調査報道を行うためのネットワークで、1997年に発足。現在117ヵ国600人以上のジャーナリストが参加し、コンピュータの専門家・公的文書の分析家・事実確認の専門家・弁護士らが協力。活動資金は個人・団体からの寄付金で賄われ、政府からの資金は受けない。本部のあるワシントンD.C.には20人のスタッフが常駐。
(注2)パンドラ文書:ICIJが、各地の租税回避地(タックスヘイブン)に会社や信託を設立・管理する法律事務所や信託会社など14社から入手した1,190万件以上の内部文書。構成ファイル1190万件・合計2.94テラバイトというパンドラ文書では、世界中の大統領や首相、裁判官、軍幹部などがタックスヘイブンのダミー企業を使って税金を回避していたことが判明。
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