ロシア:ダゲスタン共和国の空港が反イスラエルの群集に占拠される(2023/10/31)
『フランス国際ラジオ局(RFI)』10月30日付けで、ロシアのイスラム系住民の多い、ダゲスタン共和国の首都のマハチカラの空港で、10月29日夜、イスラエルからの乗客が到着するとの発表があってから閉鎖され、その後に急きょ、治安部隊が現場に派遣されたと伝えた。イスラエル政府は、ロシア側に全てのイスラエル人とユダヤ人の安全を確保することを強く依頼した。
マハチカラ空港では、10月29日の夜、イスラエルに反対する群衆が、テルアビブから到着したイスラエル人たちを標的に襲撃した。
ロシア民間航空局は、「マハチカラ空港の旅客機輸送ゾーンに不審者の侵入があったため、離陸や着陸を行わせないように空港を一時的に閉鎖することを決定し、すぐに、治安部隊が現場に向かった。」と発表した。さらに、当局は、マハチカラ空港が11月6日まで閉鎖を続けるという。
ロシア連邦の日刊紙『イズべスチア』によると、数十人の群衆が、イスラエルからの飛行機の到着のアナウンスの後、空港の屋根や空港エプロンに侵入したという。...
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マハチカラ空港では、10月29日の夜、イスラエルに反対する群衆が、テルアビブから到着したイスラエル人たちを標的に襲撃した。
ロシア民間航空局は、「マハチカラ空港の旅客機輸送ゾーンに不審者の侵入があったため、離陸や着陸を行わせないように空港を一時的に閉鎖することを決定し、すぐに、治安部隊が現場に向かった。」と発表した。さらに、当局は、マハチカラ空港が11月6日まで閉鎖を続けるという。
ロシア連邦の日刊紙『イズべスチア』によると、数十人の群衆が、イスラエルからの飛行機の到着のアナウンスの後、空港の屋根や空港エプロンに侵入したという。群衆の掲げたプラカードには、‘子供たちを殺害するものにはダゲスタンの地を踏ませない!’などと書かれていた。
テレグラムで放映されたビデオ映像では群衆が、障害物を移動して空港から出ようとする車を停止させたり、ターミナルの扉を突き破ったりして混乱を生じさせていた。フライト運航のインターネットサイト‘フライトレーダー’によると、テルアビブから到着した便は、19:00にマハチカラ空港に到着後、21:00にはモスクワに向けて、再離陸する予定であった。
なお、チェチェニー共和国とダゲスタン共和国はロシアの中でも政情が不安定な国としてあげられ、両共和国とも住民の大多数は、イスラム教信者だという。
イスラエルのネタニャウ首相は、ロシア政府に、イスラエル国民とユダヤ人全員に対する暴動や暴力からの安全性確保を強く依頼している。
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ロシア:プーチンの政策に反対する大物運動家、カラ・ムルザを6月まで拘束(2022/04/24)
『フランス国際ラジオ局(RFI)』によると、プーチンのウクライナ侵攻に反対してきた反体制派のウラジミール・カラ・ムルザはすでに投獄されているが、4月22日金曜日、新刑法により6月まで勾留が継続されることが発表された。
ウラジミール・カラ・ムルザ(40才)は、プーチン政権に対する誹謗者で、これまでの数週間、公然とロシアのウクライナに対する侵略行為を非難した。そのためウラジミール・カラ・ムルザは、‘フェークニュース’を流したとの疑惑でロシア当局による捜査対象となり、この疑惑の捜査目的で6月12日まで一時勾留となった。
しかし、反体制派のカラ・ムルザは、先月制定された新しい刑法によると、最長15年までのもっと重い判決を宣告されるリスクがある。...
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ウラジミール・カラ・ムルザ(40才)は、プーチン政権に対する誹謗者で、これまでの数週間、公然とロシアのウクライナに対する侵略行為を非難した。そのためウラジミール・カラ・ムルザは、‘フェークニュース’を流したとの疑惑でロシア当局による捜査対象となり、この疑惑の捜査目的で6月12日まで一時勾留となった。
しかし、反体制派のカラ・ムルザは、先月制定された新しい刑法によると、最長15年までのもっと重い判決を宣告されるリスクがある。すなわち‘ロシアの軍事力の使用方法での誤ったニュース’に対して科されるという。
ロシア治安当局としては、ウクライナでの軍事作戦に関する情報発信を統制するための法的な手段を強化している。
ロシア治安当局は、その他の捜査対象としてウクライナ戦争の批判に対しても目を光らしている。‘戦争’や‘侵略’という言葉を使ったことでロシア国民はだれでも捜査対象になるという。なお、カラ・ムルザはすでに‘外国の手先’ロシア人リストに登録されており、処罰の対象となっていた。4月12日には治安当局の命令に従わないという罪状で15日間の勾留を宣告されていた。
なお、カラ・ムルザは1981年生まれで、英国のケンブリッジ大学を卒業後、ノバイエ・イズべスチア新聞などの記者を経た後、NGO組織、開かれたロシアの調整役を担っていた。彼は現在、ロシアに残留する反体制派の最後の大物と目されていた。なお、反体制運動のため、2015年と2017年の2回、毒殺されそうになった。2018年の「人権および民主主義に関するジュネーブサミット」では‘勇敢賞’を受賞している。
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