3月6日付
『ザ・ディプロマット』オンラインニュース:「
『タイム』誌選出の時の人(女性)100人のうちのアジア人女性に注目」
米『タイム』誌は、1927年以来、その年に最も影響を与えたと評価される“時の男性(Man of the Year)”を選出してきた。
この中で、初めて選出された女性はウォリス・シンプソン(1896~1986年)で、離婚歴ある米女性として英国のエドワード8世国王と結婚したが、貴族から妃を選ぶとの英王室の歴史を覆した等の理由で、同国王は退位を余儀なくされ、ウィンザー公爵となっている。
以降、女性として選出されたのは僅か4人であった。
同誌は1999年、世の中の動きに即して、タイトルを“時の人(Person of the Year)”に変更している。
そしてこの程、同誌は2020年、これまで選出された“時の女性”100人を特集したが、その中で、アジア人女性も何人か選出されている。
なお、英語で創刊されている同誌は、特に西洋世界の“時の人”を選出してきているが、アジアも決して注目されていない訳ではない。
後述せるとおり、中国、アフガニスタン、パキスタン、フィリピン等々、有名人であろうと無名であろうと、世界、あるいはその国に影響を与えていると評価される人が多く選出されている。
1922年 向警予(シャン・チンユ、1895~1928年):中国共産党の当時の数少ない女性党員の一人。1922年に同党女性局々長に就任。同誌は選出の理由として、“女性の権利及び大規模労働運動展開に貢献”したと評価。なお、中国国民党によって処刑されている。
1927年 ソラヤ・タルジ王妃(1899~1968年):アフガニスタンのアマニュラン・カーン国王の妃。進歩主義思想を広めた知識人リーダーの息女で、王妃になった後、当時の一夫多妻制を改めさせ、また、少女の教育推進にも取り組んだ。しかし、1929年、内乱勃発に伴い、国王とともに国外追放されている。
1928年 アンナ・メイ・ウォン(1905~1961年):ロスアンゼルス生まれで、ハリウッドで有名になった初の中国系米国人女優。ただ、当時の米国では異なる人種間の結婚を禁止する法律等、人種差別が激しく、また、外国人としか認められないことに嫌気がさして1928年に欧州に渡り、そこで大成功を収めた。
1937年 宋美齢(ソン・メイリン、1898~2003年):中華民国指導者蒋介石(チャン・カイシェック)の妻。日中戦争の折り、米国から支援を得る工作で中心的役割を演じた。同誌も、“時の人”として蒋介石を選出した際、同夫人として同時に選出。なお、1943年、米両院議会で初めて演説した中国人となった。
1945年 呉健雄(ウー・チェンシュン、1912~1997年):中国系米国人物理学者。中国江蘇省(チャンス-)生まれだが、物理学の博士号取得のため、1936年に渡米し、カリフォルニア州立大学バークレー校で取得。1944年、マンハッタン計画(注2後記)に参加し、ウラン燃料の濃縮手法の研究に貢献。当時同誌は、“原子爆弾の核となる、核分裂性原子U-235からウラン238を抽出することに成功した”と評価。
1947年 アムリット・カウアー(1889~1964):インド人活動家・政治家。王族出身ながら、インド独立運動(1857~1947年)に邁進し、インド独立後の1947年、初代厚生大臣に就任。女性の教育、忍耐主義、更には児童婚制の廃止に貢献。
1972年 パッツィー・タケモト・ミンク(日本名竹本まつ、1927~2002年):日系米国人三世で、ハワイ州初の女性弁護士。また、米下院史上初の有色女性、かつアジア系米国人議員で、ハワイ州選出議員として12期務めた。1972年制定の、教育改革法第九条項(注3後記)草稿に貢献。当時同誌は、“同法制定によって、女性アスリートにも平等の権利が与えられ、また、女子学生・スタッフへのセクシャルハラスメントが防御された”と評価。
1976年 インディラ・ガンジー(1917~1984年):インドの政治家で、初の女性首相(第5及び8代)。父はジャワハルラール・ネール初代首相。1966年に初組閣した際、周りからは“お飾り大臣”として、実権は与党内の有力政治家が握ると予想されていたが、強力な指導力を発揮。その後中央集権に力を入れ、1971年バングラデシュ独立を支援するためパキスタンとの戦争も主導。1984年に暗殺された。
1979年 屠幼幼(トゥ・ヨウヨウ、1930~):中国浙江省(チューチャン)寧波(ニンボー)生まれの医学者。1969年より、マラリア治療研究チームのリーダーに抜擢され、1972年、抗マラリア薬の開発に成功。1979年、その研究成果が初めて英語で世界に紹介。2015年、ノーベル生理学・医学賞を受賞。
1986年 コラソン・アキノ(1933~2009年):フィリピン第11代大統領。1983年、夫で野党党首のベニグノ・アキノ・ジュニアが暗殺された後、遺志を継いで独裁者フェルディナンド・マルコス大統領への対抗運動を展開。1986年、マルコスの対抗馬として大統領選に出馬。結果、マルコス当選とされたが、不正が発覚し、ピープル・パワー革命(注4後記)を経て、マルコスに代わって大統領に就任。
1990年 アウン・サン・スー・チー(1945~):ミャンマーの非暴力民主化運動指導者。父のアウンサン将軍暗殺(1947年)を受けて、後にミャンマー軍事独裁政権に対抗していく。1990年、最初の自宅軟禁(1989~1995年)の身であるにも拘らず、率いる国民民主連盟(NDL)が総選挙で大勝し、世界に名が知れ渡り、同誌も“時の人”として選出。1991年にノーベル平和賞を受賞。2度目の自宅軟禁(2000~2010年)を経て、2015年の総選挙でNDLが再び大勝し、初めて軍事政権から権力を奪取。ただ、2017年発生のロヒンギャ族への軍による武力攻撃を擁護するに至り、それまでの民主化運動の救世主としての名誉に傷が付いている。
1995年 緒方貞子(1927~2019年):国際政治学者。日本人唯一、かつ女性初の国連難民高等弁務官に就任(1990~2000年)。特に、湾岸戦争(1990~1991年)時のクルド人難民、ルワンダ虐殺(1994年)時の避難民、更に冷戦(1947~1991年)に伴う多くの難民の救済に注力。2002年、小泉純一郎首相に委嘱されて、アフガニスタン支援政府特別代表に就任。
2009年 マララ・ユスフザイ(1997~):パキスタンの人権活動家。2009年1月、11歳の時に、パキスタン北部の地元政権パキスタン・タリバーン運動(TTP)による女子高破壊活動等を非難するブログがBBC放送を通じて世界に初めて発信。しかし、2012年、女性の権利を真っ向から否定するTTPによる銃撃事件に遭遇。顔と首を撃たれたものの生還し、以降、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を継続。2014年、ノーベル平和賞を受賞し、ノーベル賞受賞最年少記録を樹立。
2018年 マリア・レッサ(1963~):フィリピン人ジャーナリスト。2018年、同誌が“迫害・暴力に立ち向かうジャーナリスト守護者”として選出したときの一人。2011年にフェイスブック上で立ち上げた『ラップラー』というソーシャル・ニュースサイトが、フィリピン国内で最も活動的なニュースサイトのひとつと認定。なお、現在もドゥテルテ政権を批評するインターネット運動を続けているが、複数の罪状で逮捕されたり、告訴されたりしている。
(注1)『タイム』誌:1923年創刊の米ニュース雑誌で、世界初でもある。1927年以来、その年に影響を与えた人として“時の人(当時は男性)100人”を選出してきている。なお、男女平等権の広がりから、1999年に“時の人”にタイトルを変更している。
(注2)マンハッタン計画:第二次大戦時、ナチス・ドイツなどの原子爆弾開発計画にあせった米・英国・カナダが共同で行った原子爆弾開発・製造計画。1945年7月、世界で初めて原爆実験を実施し、同年8月初め、広島、長崎で初めて原爆が投下され、合計数十万人が犠牲となった。
(注3)教育改革法第九条項:連邦政府から援助金を受けている学校や大学に対し、性別に基づいての差別を禁じる法律。
(注4)ピープル・パワー革命:1986年2月22日のフィリピン軍改革派将校のクーデター決起から25日のアキノ政権樹立に至る、フィリピンで発生した革命。100万人の市民が改革派将校を支持したことから、マルコス大統領が失墜し、米国に亡命。
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6月27日付米
『ブライトバート』オンラインニュース:「ドゥテルテ比大統領、南シナ海領有権に関わる政策のために弾劾を求められる状況」
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領は今週初め、中国がフィリピンにとって大切な戦略的パートナーであるため、南シナ海で発生したフィリピン漁船の沈没事故に関し、中国側に抗議することはしないと強調した。
更に同大統領は、沈没事故が発生した南沙(スプラトリー)諸島内のリード礁を含めたEEZ内で、中国船が漁をすることを認めるとまで言い出した。
これに関し、フィリピンメディア『ザ・ラップラー』オンラインニュースは、政府が勝手に領海内において第三国に漁業権を与えることはフィリピン憲法違反であると指摘した。
しかし、与党筆頭格のビンセンテ・ティト・ソット上院議長は6月27日、フィリピンTVニュースメディア『ANC』の番組“アーリィ・エディション”のインタビューに答えて、魚類に国境はなく、中国海域から来たかもしれないので、フィリピンEEZ内で中国船が漁をすることは、何ら問題はないはずだ、と同大統領を擁護する発言をした。
一方、『フィリピン・スター』紙によると、ソット上院議長は、同大統領に対する弾劾請求手続きについて特に反対はしておらず、ただ、同大統領がかねて求めている憲法改正に関わる“非常に有効なテスト・ケース”になると付言しているという。
なお、大統領府のサルバドール・パネロ報道官は6月27日、同大統領はフィリピン領海権を中国に与えようとしているのではなく、あくまで中国との衝突回避のため、中国船によるEEZ内での漁を認めるとしているだけである、と強調している。
一方、6月28日付フィリピン『マニラ・ブルティン』紙:「ドゥテルテ大統領、自身の弾劾を求める輩を逮捕すると宣言」
ドゥテルテ大統領は6月27日晩、大統領府で記者会見に応じて、自身に対する弾劾を求める声があることは気にしていないが、もし具体的な弾劾請求手続きに入ったならば、当該請求者らを逮捕すると脅す発言をした。
同大統領によれば、反対派の人たちは、習近平(シー・チンピン)国家主席が、もしフィリピンが南シナ海で天然ガス掘削を一方的に始めたら、戦争してでも止めさせると脅している事実を理解していないという。
すなわち、同大統領としては、フィリピンEEZ内で中国側と衝突することは、自国にとって全く有益とならないので、中国船による漁を認めるという妥協案を提案しているだけだと主張している。
そして同大統領は改めて、負けるとわかっている(中国との)戦争にフィリピン兵を送り出したくないと強調した。
なお、同大統領は、領海内の天然資源はフィリピンに独占的に帰属するとの憲法条文について、現在の状況からは何ら意味をなさないこととなっている、何故なら、この条文があるからと言ってフィリピンの経済的問題を解決してくれることにはならないからである、とも付言した。
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